写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

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写真家で写真研究塾「風」同人でもある眞月美雨さん。

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いままでに、ユージン・スミスの写真のほとんどは、写真集などで繰り返し見てきたが、やはり生のプリントで見るのとは断然違うことが改めて思った。会場にはディテールの部分に何が表現されているのか、目を皿のようにして作品を見つめる鑑賞者が多かった。僕も出版物では、解らなかったユージン・スミスの作画意図が改めて理解できたことは収穫だった・・・。

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このポスターの作家たちの他に、田淵行男と水越武、岩宮武二と森山大道、田中光常と星野道夫、岡田紅陽と白旗史朗、木村伊兵衛と田沼武能、桑原甲子男と荒木経惟などが出品していた。

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武蔵野市平和の日条例 制定10周年記念事業としてこの企画展が開催された。大石さんが約40年間にわたり世界の戦争の犠牲になった人々を取材してきた。その記録をモノクローム作品で展示している。本人には会えなくて残念だったが心には深く沁みた写真展であった。(入場料:300円、中高生は100円、小学生以下、65歳以上、障がい者は無料)

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この春まで、小松健一主宰 写真研究塾「風」の事務局長を永く務めて来た写真家の鈴木渉さんが、今年度の第27回酒田市土門拳文化賞を受賞した。新宿にあるニコンプラザ東京で、その作品30点と同賞の奨励賞を受賞した3作品も同時に展示されている。(前列右側が鈴木渉さん)

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閉館後、初日ということもあり見に来ていた名古屋の写真家・森田雅章さん(手前)と僕の隣から、写真家の眞月美雨さん、信州の伊那から来た写真家・橋都とみ子さんとで、鈴木さんを囲んでささやかな祝う会で乾杯をした。みな「風仲間」でもあるので、受賞までの苦労話やエピソードなど写真談議に時が経つのも忘れ盛り上がった初冬の一夕であった・・・。

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関東地方では、すっかり初冬の訪れを感じる季節になった10月28日、沖縄に向けて羽田空港を発った。眼下には冠雪した富士山が光って見えた。これから8日間、11月4日までの「琉球 OKINAWA」の取材のことを想った・・・。

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昨年11月以来の沖縄取材だった。その間、何度かエアチケットを予約して取材を試みたが、新型コロナウイルス感染が急拡大を続け、すべてがキャンセルとなった。そして今回、1年ぶりにようやく沖縄訪問が実現したのだった。相変わらず珊瑚の海は美しかった・・・。滞在中の平均気温は27~8度。真夏日の気温だった。

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着いたのは、総選挙終盤戦の真っ只中であり、折からの100年ぶりと言われる小笠原諸島の海底火山の大噴火により沖縄各地に軽石が押し寄せ、港や漁に大きな損害をもたらしている事が毎日のニュースで騒がれている時でもあった。特に被害が大きいと言われていたやんばる地方へ行った。写真は大宜味村の東シナ海に面した海岸線。軽石の漂着はどこまでも続いていた・・・。

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餌場である珊瑚のリーフ内の浅瀬の海が、一面に軽石で埋まってしまい途方に暮れる海鳥。

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手前はまだ軽石が来ていない海。しかし、すぐ目の前まで筋状になって軽石が押し寄せていた。

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本部町と屋我地島を結ぶワルミ大橋から海峡を望む。軽石の群れはまるで龍のごとくに次々と押し寄せてきていた・・・。

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前方に見えるのは古宇利島。

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国頭村辺土名漁港で。漁船と押し寄せた軽石。

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 沖縄県の最北部の国頭村の辺土名漁港には、軽石が流れこまないように防護対策を取っていたが、次々と越えて漁港に押し寄せていた。

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僕が好きだった瀬底島。スクが大量に押し寄せてきて、島上げての漁が盛んだったこの島。珊瑚の白砂の浜も美しかった。赤瓦の家々の佇まいもステキだった・・・。それが一つのホテルが島に建設されたことで島の景観も、人々の暮らしぶりも変貌してしまった瀬底島。古宇利島にも同じことを見たが、沖縄の美しき離島は、観光化の波みに寄ってみなこうなってしまうのだろうか・・・。今回の旅で一番虚しくそして哀しく思えた光景だった。僕には米軍の水陸両用車が沖縄の珊瑚のビーチを我が物顔で踏みつぶしていくのと重なって見えるのだった・・・。(正面に見えるのは伊江島)

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11月16日、ふじみ野市西公民館において、「写真集団・上福岡」の11月例会が開かれた。来年3月の第39回同写真展の開催に向けての準備が着々と進められている。来月には案内状の作成に入り、各人の出品作品が絞り込まれる予定だ・・・。

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会が終わった後のいつもの反省懇親会。毎回参加の会長、事務局長の2人が家の事情などでこの日は不参加だった。82歳になったベテラン会員2人が参加した。話はいま撮影を進めている来年の写真展の作品のことやフィルム写真の現像、引き延ばしのことなど盛り上がった・・・。

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11月19日、三男である弟の勝三と久しぶりに逢った。コロナ禍の中だったので弟が会議などで上京してもなかなか会うことができず、2年ぶりぐらいの東京での再会だった。右前は、AGパートナーズ株式会社代表取締役CEO 吉川泰一さん、小林章人税理士。2人とも弟の会社の社員でもある。僕の右隣りが10歳以上の歳の差がある弟。池袋の「みやらび」には弟は何度も来ており顔なじみでもある。この日は午後4時から四川料理の店で6時過ぎまで呑み、そのあと沖縄料理のみやらびで、9時半頃まで呑んだ。久しぶりによく呑んだ。紹興酒の18年古酒、白酒45度、泡盛の5年古酒とボトル3本を空けて、4本目に手がかかっていた。無論、青島ビールやオリオンビールなども呑んだことは言うまでもない・・・。

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上の写真は、小林税理士と琉球舞踊家で、みやらびで働いている陽子さん。下の写真は、弟・勝三と古稀に近い僕でした・・・。

 

 

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写真の分野は違うが何故か気心が通う海野和男さん。互いに酒好きで、長い付き合いでもある。

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この大きな写真パネルをはじめ、会場の作品半分はすべて小諸の自分の別荘の庭で撮影したものだという。彼はいつも庭にテーブルを出して、酒を嗜みながらシャツターを切っている・・・。

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コロナ禍のなか、久しぶりの再会であった・・・。

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ここまでは小諸の別荘の庭に遊びに来た蝶たち。下の2作品は海外での撮影。2019年までは、毎年10回以上は、海外取材に出かけていたという。この2年間は皆無だと残念がっていた・・・。

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自然写真家を志している若い仲間たちと。みな海野さんを慕っている。最終日なので記念写真をパチリ~!♡☆

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JR新前橋駅の線路。上越線、両毛線、吾妻線などが通っている。この駅の高架橋からは、東に赤城山、西に榛名山と上州を代表するパノラマが広がって見える。

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三男の弟、小松勝三とノイエス朝日の新しく責任者となった橋本さん。2021年6月~7月に開催する僕の個展について打ち合わせもした。

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書家であり詩人の住谷さんがこの作品は、「僕の人生、生き方そのものだ」と言った・・・。

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右が作者の住谷夢幻さん。左が上毛新聞社元編集局次長、論説室論説委員長の小林忍さん。僕とも十数年来の付き合いだ

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僕と住谷さん(中央)とは、40年来の友人だ。一緒にヒマラヤ・ネパールに旅したことも、上州をテーマに二人展をしたこともある。右は、弟の小松勝三。この日、忙しいにわざわざ来てくれた。

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高崎にある群馬県立土屋文明記念文学館の前庭、正面に土屋文明の「青き上に榛名を永久の幻に出でて帰らぬ我のみにあらじ」と刻んだ歌碑がある。

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文学館の正面入口。

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群馬県立土屋文明記念文学館の学芸員と学芸担当の人たち。来年2月に記念講演を依頼された僕との打ち合わせに参加した。

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講演内容について細かい打ち合わせが終わり、記念写真~!☆ お疲れさまでした。

今週は忙しい週だった。出版社との打ち合わせ、印刷所との打ち合わせ、写真集団・上福岡10月例会、リコーイメージングスクエアとの打ち合わせ、オリンパスギャラリーなど写真展巡り、呼吸器内科診察、歯科医院で奥歯の抜歯手術、そして明日は、高崎の群馬県立土屋文明記念文学館、前橋にあるノイエス朝日での展覧会を見るとともに、担当者との打ち合わせなど・・・・。

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第39回「写真集団・上福岡」写真展が2022年3月24日~28日、富士見市民会館ギャラリーきらりで開催が決定した。最盛期から比べると4分の1程に減った会員だが、10月20日の例会には全員が顔をそろえた。年内には案内ハガキを制作する予定だ。

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満95歳と5が月を超えた会員の中村咲さん。コロナ禍もあり3月以来の出席だった。お元気そうな姿に、みなさん、拍手で歓迎した・・・。

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「緊急事態宣言」も解除され、半年以上ぶりの会終了後の有志による懇親会をおこなった。

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竹川会長(左)、一瀬事務局長(右)と83歳をまもなく迎える野崎会員。

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打ち合わせで池袋や新宿へ出かけたので1年半ぶりに、30年以上通っている常連の店を覗いてみた。みな元気にやっていたのでホットした。創業70年を超えるもつ焼き屋の名物・なか豆腐、安価で絶品だ・・・。(10月18日)

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刺身の3点盛。640円なり。もつ焼き専門だが刺身や他のつまみも豊富で旨い。下は房総の漁師料理である鯵のなめろう。

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新宿駅西口の思い出横丁。通称「ゴキブリ横丁」には、人はコロナ以前と比べると圧倒的に少ないがボチボチ賑わいが戻りはじめていた。少し小奇麗になった。(10月21日午後5時30分頃)

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僕の「カブト」での定番コースは、うなぎ7本、焼酎1杯、黒ビール小瓶、浅漬けである。

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昔からの親父たちは、いなくなり若い衆がうなぎを焼いていた。でも僕を覚えていて「お久しぶりですね・・・」と声をかけてきた。

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この中華料理屋もこの界隈では老舗。この調理責任者は、20歳頃からここで働いている・・・。

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この店も老舗。銀座にも店を出しているが、看板などは一切掲げていない。ここも代替わりで僕の知っている顔はもう一人もいなかった・・・。

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1970年代ごろの通称「しょんべん横丁」の写真。思い出横丁の山手線に沿っている露地だ。現在も営業している「鳥園」や「きくや」が見える。近くの通りに飾ってあったのでパチリ~!☆ 僕が通い始めたのは1972年。80年代後半から90年代は毎夜、終電までこの横丁で吞んだくれていた。「僕の名前を大声で呼べば、どこかの店で必ず呑んでいる」と言われていたなあ~・・・・。

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公文君の写真展を見るのは久しぶりだった。今回は昨年出版した同名の写真集からの作品を展示したもの。プリントを売るのが目的のギャラリーだという。キャビネ版カラーで8.8000円の価格が付いていた。僕が最初に見たネパールを撮影した頃とは、彼の写真表現が大分異なるように感じた。

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写真甲子園というコンテストで3年連続グランプリを受賞しているという女性と公文君。ギャラリーの前で。

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僕の息子よりも若い公文君だが、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いである。僕の写真集『雲上の神々ームスタン・ドルパ』(青冬社)を見て感動してネパールの旅をはじめたと言っていた若い頃が懐かしい・・・。

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来よう来ようと思っていたが、遠方でコロナ禍もあり、なかなか足が向かなかったが、いよいよ終盤に近くなったので思い切って出かけたのだ。会場が閉まる30分前だったが入場者はひっきりなしであった。ギャラリーE&Mで。

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質問する人に一つ一つ丁寧に応える桑原史成さん(右端)、右から奥さま、ギャラリーのオーナーであり写真家の竹内英介さん。 

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史成さんご夫婦の写真を撮った。いつも史成さんは照れ屋なので、カメラを向けると表情が緩んでしまう。それで僕は「史成さん真面目な顔して~!」と言いながらシャツターを切ったのだ。少しはましなポートレートが撮れたかな・・・。奥さまは相変わらず、いつもお美しい。

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史成さんと初めて会ったのは、僕が20代前半の頃。もう50年近くになる。1974年5月に創設した現代写真研究所の一期生ととして僕は本科2年生に入所した(同期には写真家の藤田庄一、森住卓などがいた)。2年間は若き日の樋口健二さんと竹内敏信さんに担当のカウンセラーとして面倒を見てもらっていた。その上のクラスの研究科の担当カウンセラーが英伸三さんだった。桑原さんは英さんとは、写真学校が同期で歳も同じと言うこともあり、仲が良くて何かと言うと来ていたのだ。その頃の2人は、ドキュメンタリーのバリバリの若手売れっ子写真家だった。僕らの憧れでもあった・・・。

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今回の写真展を観て、つくづくと史成さんが口にしている「写真の命は記録性だ」と言う言葉がいかに大切かを感じさせられた。実は僕も30代後半の頃、史成さんの水俣の写真に刺激されて水俣へ何度か通った。5~6回だろうか。時には患者さんも訪問して取材させてもらった。だが、美しい水俣の風景だけを集めて「よみがえれ故郷・不知火の海」をテーマとした写真スケッチ集『水俣ーこころの風景』を5、000部制作した。

そこには「水俣病」のことは一字も入れなかったが、僕のこころのなかでは、もちろんそのことは大きなテーマとしてあった。しかし、商店街のおばちゃんに「あんたらが水俣の海は汚い、水俣は病気の町だとみんなに知らせたんだ」と言われた時には返す言葉がなかった。また居酒屋でチッソで働く労働者たちが肩身の小さい思いで呑んでいることを知った。そして決定的だったのは「大阪に嫁に行った娘が、もう水俣からと書いたミカンもなにも送らんでくれ~」と言われたと農家のお母さんに涙声で言われたことだった・・・。

水俣の歴史は古く、太古の昔から人々はこの土地で暮らし、不知火の海は豊穣だった。温暖な気候で、ゆったりとして眠りたくなるような風光明媚な土地である。僕はそこだけを撮影し、15点の写真に絞った。友人の詩も入れた。誰もが胸を張って水俣は良いとこじゃろと言えるような「写真はがき」を作ろうと思ったのだ。どうせ売れないだろうと自腹で作ったものの印刷代の支払いなど不安だったが、いざ、刊行するとラジオ番組に出演したり、新聞や週刊誌も取材し、紹介してくれた。地元でも「水俣病」の運動に賛成する人も、反対する人も、中立の人ともみな、喜んで買ってくれた。熊本の弁護士会の先生たちも大量に購入してくれた・・・。そしで気が付けば5、000部はあっという間に売り切れてしまっていた。僕の手元には今はもう無い・・・。

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ようやく、リコーイメージングスクエア東京で開催している中谷吉隆フォト俳句作品展「回り舞台」に来れた。まずは中谷さん(左)と会場にいた前キャノンマーケティング(株)プロフェッショナル担当の川名廣義さんをパチリ~!☆

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永井荷風こそが「フォト俳句のさきがけである」と来場者に荷風の著書を紹介しながら熱心に説明する中谷さん。会場に置いてある「中谷吉隆(俳号・龍子)のフォト俳句~写真と俳句のコラボレーションの楽しみ~」が蘊蓄があり興味深く読める。ぜひ、ご一読を・・・。

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作品は80数点並んでいる。その中の3点を紹介(横になってしまいすみません)。俳句と写真はもちろん、書も本人が手掛けている。額や和紙の選定、デザインなどもふくめて全て手作りだという。

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帰ろうとしたら「小松ちゃん、ちょつと待って俺もユージン・スミスを撮っているんだ。見てよ」と数枚の写真を鞄の中から取り出し見せてくれた・・・。

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最初の一枚目は、ユージンス・ミスとアイリーン夫妻に土門拳さんと当時、JPSの会長だった渡辺義雄さんだ。1974年の撮影。僕がこれは麹町の土門さんの家ですねというと「行ったことあるの?そうだよ。ユージンが土門さんに会いたいと言うので、渡辺会長がお連れしたんだ。土門さんが左手で4本指を立てているのは、俺は4回倒れても生き返っているんだと話している・・・」僕も土門さんの事務所兼自宅には何度かお邪魔していた。それにしても貴重な写真だ。中谷さんは当時JPSの広報担当でもしていたのか?それとも東京新聞の写真部員として、このビックチャンスに立ち会ったのか?

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もう一枚は、ユージンス・ミスとアイリーン夫妻に吉岡功さん(右)。この写真は沖縄復帰闘争のさなか、1971年11月に起きたゼネスト取材中、火炎瓶によって警察官が亡くなるという痛ましい事件がおきた。その現場に居合わせた吉岡さんが撮影した写真が、その後、「殺人及び公務執行妨害」の容疑をかけられて、家宅捜索をされ、そのネガを押収されるという事件がおきた。これを知った沖縄をはじめ、全国の写真家、作家、メディアなどが「表現の自由を奪うな!」と立ち上がったのだ。民事訴訟の証人として写真家の立場から証言台に立ったのがユージン・スミスだった。この写真も貴重な記録である・・・。

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石川武志写真展会場(縦位置になってすみません)

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写真家・石川武志さん。渋みのあるいい顔になったと思う・・・。

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中谷さんにユージンスミスの貴重な写真を見せてもらった後、石川武志写真展「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」を観た。彼がユージンの助手として水俣で同居していた1971年~1974年の約3年間に撮影した作品31点である。プリントもオリジナルゼラチンシルバープリントで美しい。会場はひっきりなしの鑑賞者でいっぱいだった。公益財団法人日本写真家協会副会長、日本旅行写真家協会会長の山口勝廣さんと。

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僕にも入ってというので。 山口さんとはJPS理事になる前からだから、すでに40年ほどの付き合いなる。そもそもJPSの入会時のぼくの推薦・保証人の一人が山口さんで、もう一人が土門拳、藤本四八、渡辺義雄さんたちと盟友だった田村茂先生だった。石川さんとの付き合いもかれこれ30年は経つ。お互いによい歳になったものだとつくづく思う。こころよりご自愛を祈るばかりだ・・・・。     合掌

昨日、10月5日は「アメリカが最も恐れた沖縄の男」瀬長亀次郎さんの20回目の命日だった。2001年の10月5日に94歳で惜しまれて亡くなった。この日に僕はドキュメンタリー映画「アメリカが最も恐れた沖縄の男ー瀬長亀次郎の一生涯」(監督:佐古忠彦)を観た。追悼をこめて泡盛を独り傾けながら・・・。 米軍統治下の沖縄で唯一苛烈な弾圧を恐れずに、民衆の立場に立って「米軍にNO~!!」を叫び、不屈の精神で立ち向かい続けた御万人のヒーローの生涯を克明に追った秀作のドキュメンタリーだった。

来年、2022年5月15日が沖縄が本土に復帰した日だ。実は50年前のこの日、僕は富士重工の直営販売店に勤めていて、お客さんに納品する車を運転をしていた。ラジオから流れる初代沖縄県知事になった屋良朝苗さんの演説を聞いていた。前日遅くまで起きていたために、目的地まであとわずかという地点で居眠り事故を起こしてしまった。幸いなことに国道の左側の石垣に追突しながら登り上げ一回転して、屋根が潰れて平になるほどの衝撃を受けたが、対向車や人はいなく、少し手前にあった商店にも突っ込まずに済んだのだ。

車がスバル1100だったために、気が付いたら僕は床に横たわっていて、かすり傷も負わなかった。前輪駆動だったために床が平だったことが大けがにならずに済んだのだ。何とか後部に移り、割れていたフロントガラスから外に這い出ることができた。すぐに商店の電話を借りて会社に連絡、レッカー車を頼んだ。僕はその間、国道の交通整理をしていた。集まった人たちは「運転していた人は死んだか大怪我だろうね・・・」と口々に言っていた。急いできたレッカー車に引っ繰り返してもらい、そのまま牽引してもらった。結局は警察沙汰にもならず、ことは済んだが、会社が病院へ行き精密検査をした方が良いと言うことで行ったらそのまま入院。確か1週間ほどいたが何も治療をしないので、さっさと退院してきた。その後、他の大きな病院で再検査をしたが何も異常はなかった。僕の苦く忘れられない沖縄の本土復帰の日のエピソードではある・・・・。

あれから50年の歳月が流れた。僕はこのうちの約40年間、沖縄に通い取材を続けてきた。いまその記録をまとめようと思っている。本の出版と同時に沖縄の那覇、名護と東京、大阪、そして故郷の上州・前橋で写真展の巡回展を予定している。いま、作品を少しづつではあるが探し始め、ネガの整理もしつつある。今回、1980年代に昼飯に入った那覇の食堂で、偶然に出会った瀬長亀次郎さんを撮った写真が出て来た。僕が「撮らしてもらってもいいですか」と聞いたらニッコリ笑っていいよと言ってくれた。でもカメラを覗いたらもう「不屈の男」の顔になっていた。見つかった作品の何点かをここに紹介する~!♡☆

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☆中央で右手を上げている人が瀬長亀次郎さんです。

ここに紹介した写真は、僕が最近購入したスマホで、プリント作品を複写したもの。大きくと思い、みな横位置にして撮影したら、どうしてもひっくり返しの写真になってしまいました。すみません。縦位置の写真は通常通りですが、横位置の写真はすみませんが、体を横にして見てください。よろしくお願いします・・・。 合掌

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「海岸線は生物の臨界線である」という桜井さんは、環境汚染という人間の愚行にたいして、黙々と浄化作用を繰り返している日本の海岸を20数年間撮り続けている・・・。

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東松照明、奈良原一高、細江英公、丹野章、川田喜久治、佐藤明の6人で結成した「VIVO」の暗室を担当していただけあり、さすがにプリントは美しい。

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東京の露地裏に咲く一本櫻を撮った足立君江さん(中央)。左右の2人は会期中、受付など手伝ってくれるという親しい友人だ。

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石川さんによれば、この写真の舞台「カルカッタ」はインドの原風景で、自分の写真の原点だという。彼は10月7日~10月25日まで、リコーイメージングスクエア東京において、石川武志写真展「MINAMATAーユージン・スミスへのオマージュ」を開催する。彼とは古い付き合いでもある。

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インドの北東部の高原に暮らしている民族、アパタニ族の暮らしと信仰を克明に記録した展覧会。同写真集も同時に発売された。A4判(216ページ、オールカラー、上製本)定価4、400円(税込)光村推古書院刊 ☆ぜひお手に取ってご覧ください。一見の価値あり~!♡☆

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公益財団法人日本写真家協会 会長の野町和嘉さんが会場にいたので、パチリ~!♡☆

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写真家の榎並悦子さんを囲んで、野町さんと僕と。ご両人とも40年ほど前からの知り合いではある・・・。

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「緊急事態宣言」とやらが解除され、台風一過で気持ちよい秋晴れが広がった10月2日、久しぶりの都内の写真展を巡った。この間、ずいぶんと不義理をしていたので、この日は新宿方面を回った。

最後に俳句仲間であり、写真界の先輩である中谷さんの展覧会を見て一日を終えようと急いで18:00前に会場に着いたら、何と閉まっていた。張り紙には17:30に閉館しましたと書いてあった。がっくり!!DMなどで確認したのだが、18:30までとなっていたのだ。しかし、コロナ禍の中、6月以降、営業時間を1時間短縮したのだという。また出直しだ。どっと疲れが出た・・・。

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