写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

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お彼岸の中日前日という3月19日の朝方から雪が降った。辺りは一面雪景色となったが、その後の雨で午後には道路などはとけだした。写真は午後2時頃に玄関前の畑を撮影したもの。
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雪景色だった畑も折からの雨でグチャグチャにとけだしていた(2025年3月19日)。
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19日、毎年、伊勢丹新宿店で作陶展を開催している友人の高橋芳宣さん(右)を訪ねた。芳宣さんと親しい写真家・眞月美雨さんも一緒だった。
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陶芸家の友人は全国にいるが、彼とも40年来の付き合いになる。「用と美の作陶世界」を追求している芳宣さんは、新宿・柿傳角筈窯で茶懐石の作陶を修業する傍ら大河内風船子に学ぶ。九谷焼・須田菁華(3代目)窯に入門。その後、加賀市に月乃桂窯を開窯。1992年より上州・甘楽町に窯を移し、甘楽陶房を開窯。伊勢丹の他に日本橋高島屋、大阪・うつわ一客、柿傳ギャラリー、前橋・ノイエス朝日など各地で作陶展を開催している。
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伊勢丹も以前とは異なり、和食器やキッチンダイニングのスペースが狭まり、数年前から広いギャラリーでの展示が出来なくなくなった。我が家で使用している器は、芳宣ものと琉球の壺屋ものが大半である。軽くて丈夫で使い勝手がいい。その上、絵付けが綺麗ときている。
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久しぶりにやろうと新宿歌舞伎町界隈に繰り出した。初日のオープン祝いを込めて美雨さんも付き合う。最初の店は、店主が薩摩出身ということもあり、地鶏料理は旨かったのと奄美の黒糖酒、芋焼酎は本格派が置いてあり楽しんだ。芳宣さんは日本酒党。美雨さんは大隅半島の体長65~90センチを超えるという黒さつま鶏の刺し身を2人前ペロリと食べていた。
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2軒目は、最初に顔を出した「三日月」が満席だったこともあり、久しぶりに「樽一」へ行った。ここはくじら料理がメイン。東北の食材を使っての料理も美味し。みちのくの銘酒もそろえている。
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先代の大将時代から足を運んでいた店。新宿店は場所が移り、本店だった高田馬場、僕が好きだった池袋店もなくなった。しかし、いまは2代目、慎太郎君が継いで大いに繁盛している。「食は理屈ではない。人間の存在そのもである。そしてその民族の文化である」と語っていた初代大将の教えを頑なに守っている。
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数年ぶりに行った僕を覚えてくれていて、入店の時にはハグをしてきて、途中顔を出し、帰りには待っていて送り出してくれた。若い頃から見るとすっかり2代目大将が板についてきたと思った。余り来れないとは思うがこれからも親父さんの遺志を継い精進して欲しいと思った・・・  合掌

この後、芳宣さんたっての望みでゴールデン街へ。あちこちの路地は外人ばかりで騒がしい。店の灯を消し、ドアも締めている2階のお店に入った。僕も何度も行ったことがあるNだ。写真家では高梨豊さんや菅洋志さんらがよく来ていた。今は主人がなくなり、若い奥さまが店をやっている。句会なども定期的に開いており、句報も出していた。もちろん異邦人の客は一人もいなかった・・・。

 

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受付を担当している左から新しく入会をした新井礼子会員、後藤一美会員、そして第1回展から出品している山本恵子名誉会員。

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8日、大雪警戒情報が出されている中、入場者は少なかったが、それでも約50人は来場してくれた。足元の悪い中、感謝~!!

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8日(土)午後3時からは、作品講評会が行われた。講師は同集団顧問である僕がおこなった。

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11人で118点、僕が6点出品なので合計123点の展示。1作品づつの講評なので全部で1時間30分を越えた。疲れた・・・。展示作品は山口芳郎会員の「里のまもり神」16点。フィルム現像、プリント引き伸ばし、パネル張りまで全て自身でおこなっている。

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一昨年加入した館石理会員の作品「ローカル線」10点を解説する。

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本年5月に満99歳を迎える中村咲さんの作品「さくら・さくら」10点の前で。

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僕が講評している写真を撮ってくれた後藤会員の作品「もうすぐ一年生」13点を見る。

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右側が竹川義之会長「都人・浅草」12点、左側が小池滋会員の「アンナプルナ山群10点」。

他の会員の出品作品は、新井礼子会員「継承ー氷川神社(南田島)」12点、一瀬邦子事務局長「小江戸浪漫」10点、入澤徹「旅の出会い」10点、田中栄次会員「西上州人」8点、山本惠子名誉会員「白川郷」6点、特別出品として顧問の僕が「『琉球 OKINAWA』より」6点。

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午後5時過ぎから会場を移して、出品者を囲んで懇親会を開いた。左2人目、南信州の飯田市の奥の伊那谷から来てくれた写真家の橋都とみ子さん、その隣は画家で音楽家の美崎太洋さん、その隣はスペイン語、英語の翻訳家である松野哲郎さんがゲストとして参加してくれた。感謝~!♡☆

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一日遅くなったが毎年食べていた蛤のお吸い物を作った。今年の蛤は、九十九里浜産でなくて、三重の桑名産だった。5個で定価2580円だったが、僕が「もう雛祭りも終わったので売れないよ~」と言ったら魚屋さんが「旦那、半額でいいから持って行ってくれ」と言うので頂いてきたのだ。旬の菜の花の葉と飛魚の竹輪を添えた・・・。

 

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3月5日、夕べからの雪模様の悪天候の中、9時から搬入、展示がおこなわれた。99歳の中村咲さんを除いた全員が参加しての作業が行われ、順調に進んだ。午後1時のオープンにはすべてが完了し、みんなで記念写真を撮った。僕の左が山本惠子名誉会員、右が前会長の田中栄次さん。

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123点すべての作品展示が終わった会場で、受付をはじめ、当番の仕事の確認など行われた。

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1072年~約10年間、NHK近くの職場で同じ釜の飯を食ったAさんが来てくれた。僕は新聞編集局、彼は雑誌の編集部だった。ずーとご無沙汰していたが近年、比較的近くに住んでいることが判明して、SNSを通じて来てくれたのである。いま、「民族芸能を守る会」の事務局長をしている。寄席の開催や若手の落語家の育成をしているという。 お忙しい中、ありがとうございました。

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毎年来てくれているギター愛好家のグループの人たちと記念写真。グループの中心メンバーで、竹川会長と高校時代の同級生の人もいるという。

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特別出展として僕は『琉球 OKINAWA』より6作品を出品した。琉球で暮らす人々の日常の姿を捉えた作品(シルバーオリジナルプリント・大四つ切サイズ)。

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一段落ついて、遅い昼食に誘われてご馳走になった。写真展会場近くにある蕎麦屋のランチ。

 

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3月3日、東京マラソンがおこなわれた日に、志しを同じくする四人の同世代の写真家が集った。昨年来、話し合いを続ける中で、ようやく2025年の活動の骨格が決まった。子細は後ほど伝えますが、6月に銀座の吉井画廊で4人の作品展をすること。作品集も同時刊行。各作家による作品解説や四人の対談、オープンニングパーティなども行う。来年以降も創作活動を継続するなど決めた。

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4人のポートレートと集合写真を撮影してくれたのは、山岸伸さんの助手を11年にわたって務めている写真家・近井沙紀さん。山岸スタジオの中でも最ベテランだ。 ありがとう~!♡☆

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撮影した写真の画像をチェックする。

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師匠の山岸伸さんと近井さん。スタジオで。

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鈴木さん、林さんと各自のポートレート撮影が終わって一段落。次は僕の番だ。先日行われた俳優・西田敏行さんの葬儀の遺影となった写真を撮影した同じテーブルでの撮影だと山岸さんは言った・・・。

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4時間ほどの撮影や話し合いが終わって、小腹が空いたので神田駅前のお店に行った。今日が林さん、22日が山岸さんの誕生日というので乾杯をした。ちなみに林さんの父である林忠彦さんは3月5日が誕生日だという。高齢の男4人で呑むのも悪く無いね~!!
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御茶ノ水駅からの聖橋。関東大震災後の復興橋梁の一つ。1927(昭和2)年に完成している。

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3月2日、故・土門拳先生の弟子をしていた現在、酒田市にある土門拳記念館の理事を務める友人の堤勝男さんの写真展に行った。兄弟子の写真家・藤森武さんと一緒に来ようと思っていたが連絡が取れなかった。

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鑑賞者に作品の解説を熱心にする堤さん(中央)。背後の展作品は奈良東大寺・二月堂のお水取りの神事。

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酒田の土門拳記念館で会って以来、数年ぶりの再会だった。僕が『ヒマラヤ古寺巡礼』の取材中、佛神像を撮影するにあたり、色々なアドバイスを頂いた。堤さんは師匠・土門拳の代表作『古寺巡礼』の撮影助手を藤森さんとしている。

会場で堤さんが突然「小松さんに言いたいことがある!!」と財布の中からメモを取り出した。それは以前に僕が朝日新聞に書いた「写真家の俳句」の記事の事だった。この中で土門拳の俳句を紹介した。「骨壺の子もきけ虫が鳴いている」という次女真菜ちゃんの水死事故を想って詠んだものだった。その句が正しくない、本当は「骨壺の子も耳すませ蚯蚓なく」だというのだ。直接師匠から聞いたとメモには句が記されていた。この句は土門自身が書いた「カメラ」(昭和25年12月号)にも当初の句が載っており、虫の声はコオロギの鳴声であるとも明記している。

しかし、堤さんが師匠から直接聞き、おそらく原稿も見せられたのだろう。だからこそ印象に残っていて僕が書いた記事を見てすぐに違っていると感じたに違いない。僕はそれはそれで正しいと思った。この句が思い浮かんだ時に、土門拳はあの達筆な書ですらすらと書いて近くにいた弟子の堤さんに見せたのだと思う。それが「蚯蚓なく」の句だ。堤さんの解説によるとこの鳴声は蚯蚓が面白いが、実は螻蛄なのだと師匠は言ったという。僕が思うに当初の句が「蚯蚓」、しかし土門が推敲を重ねるうちに紹介句に至ったのだと思った。俳句を詠むにあたっては当然のことである。

最初の句には「子も耳すませ」と「蚯蚓なく」という言葉があるがそれぞれ強すぎる感が否めない。推敲句の「子もきけ」の方が自然だし、実際、蚯蚓は鳴かない。季語では「秋の夜にじい~じい~と鳴く声を蚯蚓なくと言った」が実際には、それは土門が言った螻蛄の鳴声が事実である。僕は堤さんの意見を拝聴して改めて土門拳の凄さを再確認した。 鬼籍に入られて35年も経つのに師匠を心から尊敬し、誇りを持っている弟子たちがいることだ。それは藤森武さんにも強く感じることである。

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一緒に行った「写真集団・上福岡」のメンバーと東京写真記者協会事務局長の清藤拡文さん(上の写真の左端)と堤勝雄さん。

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写真展の鑑賞会には8人が参加した。懇親会には7人。正面は元産経新聞記者の清藤さん。後のメンバーは「写真集団・上福岡」の会員たち。右から竹川会長、一瀬事務局長。

 

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3月3日、今日は雛祭り。大蛤を買いに行こうと思っていた午後1時過ぎ、雨から一転して大粒の雪に変わった。昨日の5月上旬を思わせる22度越えの気温が嘘の様。30分もしないうちに辺りは雪に覆われた。

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家の前の畑。

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ここ数日のこまつ平民食堂の献立の一部を紹介します。久しぶりの”あっさりすき焼き”。ごぼうやヒラタケ、上州ネギ、エノキ、春菊など野菜が沢山入っている。

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まぐろの中落の長芋汁。長芋を摺り下ろす出汁で味が決まる。

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奄美大島から今が旬の美味しいタンカンが沢山送られてきた。僕が柑橘類の果物で一番好きな太陽の恵みを孫たちにお裾分けした。

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白身魚の刺し身と蛍烏賊。スーパーで締めて360円だった。激安だと思うがいかが・・・。

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納豆と半熟卵ときゃらぶき入りのカルボナーラのパスタ。

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2月24日、新潮社の名だたる写真集を手掛けた名編集者の金川功さんが来てくれた。僕の写真集刊行の相談、打ち合わせをした。

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この作品集の内容は、今から36年前の1989年に南米チリを取材したものだ。35年前に単行本として刊行した『チリ 嵐にざわめく民衆の木よ』(大月書店)があるが、写真集としては出ていない。金川さんが持っている写真は、僕と当時一緒に取材した東京外語大助教授だった高橋正明さん。「ラテンアメリカ交流グループ」で僕が会長、彼が副会長という仲間だった。その後、高橋さんは東京外語大学の副学長を務めた。一昨年、まだ若いのにお亡くなりになったと風の便りに聴いた・・・   合掌

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2月27日、春本番を前に髪をすっきりさせたいので、いつもの池袋のヘアサロンへ行った。担当はもちろん写真家でもある眞月美雨さんだ。 昨年の腎臓がんの手術以来、髪がみるみる抜けてすっかり淋しくなってしまっていたが、最近になって新芽が萌え出すように少しづつだが元気になってきたのであ~る。

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久しぶりに髪を脱色した。

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最後の仕上げ。脱色をしたあとWカラーをしてメッシュを入れている。

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お疲れさまでした・・・。 ありがとう~!♡☆

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ヘアサロンの前は、終戦後に建てたような二階のいかにも昭和を感じさせる事務所が並んでいたが、すべて取り壊されて再開発が進んでいた。

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近くの公園。野良猫たちが多い。

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僕はカットが終わるとこの公園で珈琲を飲んで必ず一休みをするのが習わしになっている。

 

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2月20日、午後5時から銀座の吉井画廊で打ち合わせをした。集まったのは、僕に鈴木一雄さん(右端)、林義勝さん(右から2人目)、僕、山岸伸さんの同世代の写真家4人。それに画廊代表の吉井篤志さんだった。今年行う予定の写真展などについて話し合った。近く公表できるぐらいに具体的になった。お楽しみに・・・。

この日は午前中から国立埼玉病院へ行き、大腸がんの再検診を受け、腎臓がんの2回目の定期検査の結果が伝えられた。腎臓がんの方は異常が認められなかったが、大腸がんの内視鏡検査を3月中旬に行うことになった。正直、疲れ果ててようやく銀座まで辿り着いたのだった。

写真は打ち合わせ終了後、旧ビルの頃はよく通っていたニュートウキョウのビヤホールに夕食を兼ねて出かけた。写真談議に花が咲き、酒も杯を重ねると不思議に元気が出て来た。これからのお互いの活動と健康を誓って記念写真を撮った。ユニークな面々だね、とお互いに笑いあった・・・

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鈴木さん、林さんが乾杯~!♡☆ 昨年の暮れ以来の再会だった。会が終わったのは9時を回っていた。鈴木さんと一緒に帰ったが途中別れたあと、寝てしまい下車駅を通過してしまった。十数年ぶりの事だった。

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持病もちの僕と山岸さんで乾杯~!♡☆ 山岸さんとは古くからの知り合いだが、個人的に呑んだことは昨年までは皆無だった。この日で3回目である。 最初に彼と出会ったのは、銀座のコダックフォトサロンで、コダクロームフイルムを使用した作品で、秋山庄太郎さん、藤井秀樹さんたちと写真展をした時だった。この時の出品者に山岸さんがいたのである。

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2月19日、「写真集団・上福岡」の例会がふじみ野市西公民館で行われた。この日は3月5日~9日まで富士見市民会館で開催される第42回「写真集団・上福岡」写真展の展示構成などが行われた。会員10名、名誉会員1名の11人が出品して、120余点を超える大規模の展覧会となる。顧問の僕も出品する。ぜひ、写真仲間を誘ってお出かけください。見ごたえのある展覧会ですよ~!♡

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3月15日、浅草橋にある写真弘社本社へプリント引き伸ばしチェックのために行った。山本惠子さんの「白川郷」と中村咲さんの「さくら・さくら」の作品16点を担当の山口修二さん(左)と1点1点、確認作業をした。

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42回目となる写真展の成功の前祝いとして例会終了後、近くの居酒屋で有志で乾杯をした。昨年入会した5人の存在は大きいものがある。創作でもがんばっていて頼もしい限りだ。 右端は竹川義之会長。左2人目はいつの間にか古株になってしまった山口さん(86歳)。今展もモノクロ作品16点、現像、引き伸ばしからパネル張りまで全て自身で行っている。他の人は昨年入会の新会員。

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2月22日、この冬一番の寒波が襲来し、都内にも寒風が吹き荒れていた。そんな日に十数年ぶりとなる産経新聞元記者の旧友である萩原正人さんとその後輩である清藤拡文さんと呑んだ。萩原さんは81歳だし、僕は病気持ちということで夜遅くなりたくないと午後3時に新宿西口に集まった。行った先は20年前は、ほぼ毎晩終電まで呑んだくれていた言わずと知れた「新宿ゴキブリ横丁&ショウベン横丁」だ。昼間から飲んだくれ、屯しているのは異邦人ばかり。僕が出没していた当時とは様変わりしていた。

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あの喧噪さの中で呑み、話すのは嫌なので、比較的静かな店に行った。この店は当時、着物に白い割烹着を着た女将さんがいて、この界隈では隠れ家的な異邦人やジャリたれが入店してこない店だった。僕も時々使っていたが内装や入口周りは改装していたけども当時の面影は残していた。女将は10年程前に亡くなった言う。

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まずは乾杯~!! 清藤さんとは昨年3度ほど一緒に呑む機会があったが、萩原さんとは本当に呑むのは10数年ぶりだった。しかし、昔とちっとも変わらない吞みっぷり。81歳とは思えない若々しさだった。何度かお会いした奥さまもお元気だと言う。

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この店は全国の銘酒を多数そろえているが肴も旨い。特に鮮魚は豊洲からの直送なので活きがいい。

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20歳ほど離れている先輩後輩なので、産経で同じ釜の飯を食った時代は短いらしい。しかしひょんなことからこうして今でも付き合っているという。清藤さんは現在、新聞、通信、放送(NHK)35社が加盟する東京写真記者協会の事務局長を務めている。忙しい人なのだ。

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この店も馴染みの焼き鳥屋。先代は隠居していまは倅が二代目を継いでいる。萩原さんも通った店で山手線の電車が見えるこの席が好きだと言う。この店は奄美大島の黒糖酒、沖縄の泡盛の珍しい酒を置いてあるのがいい。この日は黒糖酒の「長雲」、泡盛りは「春雨」のロックを頂いた。

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スマホでの支払いの法方をお見せの人に訪ねている。

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「新宿ゴキブリ横丁」の雑踏に萩さんと佇む。後ろの「うなぎのカブト」もよく通った店だ。
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知らないが美しいと思ったので撮らせてもらった。画像を見せたら「ビュティフル~」と微笑みながら言った。ありがとうね。

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左の若いカメラマン風の男が彼女をバチバチと撮っていたので、僕にも撮らせてと割り込んで行って3カットだけ撮らせてもらった。 (写真で僕が写っているカットのほとんどは清藤さんの撮影)

 

 

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最終日となる2月12日、何とかやり繰りをして中村梧郎写真展へ行った。久しぶりの個展である。

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彼が一貫したテーマとしてきたベトナム戦争時、米軍が散布し続けた枯葉剤と人間がテーマである。

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最終日の終了30分前なのに会場は混雑していた。会場担当者によれば、連日もの凄い人出だったという。「さすがに今日は少ないようです」と笑った。

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中村梧郎夫妻。30年ぶりくらいだと思うが、奥さまが直ぐにあいさつに見えた。もう40年近く経つと思うが梧郎さんのお宅へ行ったことが何度かあり、づいぶんとお世話何なった。それを覚えてくれていたのだ。山形放送の美人OLだった奥様に一目ぼれした梧郎さんが、足蹴く通って交際に至ったという自慢話を本人から聞いた記憶がある。僕が記念にと言うと「まあ~うれしい、小松さんに撮ってもらえるなんて・・・」と言って僕の前に二人で立ったのである。

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中村さんは、経済産業省認可法人の協同組合日本写真家ユニオンの設立発起人の一人である。当時、専務理事だった僕と些細な行き違いがあって以来、20年近く会うこともなく、話をする機会もなかった。いま考えれば「アホ」みたいなことだった。この日、無理をしても行って良かったとつくづく思った。じっくりと話したわけでもないのに、お互いに全くわだかまりがなかったのだ。逢った瞬間に、20年の歳月は何だったのかと思うほど以前と同じに自然に対話ができた。お互いに昔のことは忘れてしまっていたかのように・・・。

中村梧郎さんとは、たくさんの想い出があるが、何と言っても忘れられないのは写真の勉強会のことだ。1970年代前半に梧郎さんが勤めていた通信社が有楽町にあった。そこをたまり場にして、月1回~2回、通信社や新聞社の若手写真部記者を中心に集い写真について研究会をしていたのだ。ナショナル電気の広報室からも参加していた。年長だった梧郎さんがリーダー役になっていった。各自の作品を持ち寄ったり、内外の名作について研究したりした。今の僕があるのもこの勉強会は一つの礎だったと思っている。

中村梧郎さんをはじめ、今活躍している写真家・森住卓さん、写真家・藤田庄一さんをはじめ、尾辻弥寿雄さん、関次男さん、若橋一三さん、小倉隆人さん、故・小島定吉さんらも来ていた。みな日本写真家協会会員として活躍していたメンバーだ。時々、評論家の伊藤逸平先生らも招いていた。会が終わると安酒やつまみを買ってきて激論を交わした。時には有楽町から上野まで肩を組んで気勢をあげながら歩いていったこともあった。みな20代~30代の青春真っ只中の若者であった。

持っている写真は、梧郎さんが40代前半の頃、日本リアリズム写真集団が発行している雑誌「写真リアリズム」で、写真家・英伸三さんと対談した時に僕が撮影したもの。梧郎さんは「ずいぶんと若い頃もあったのだな~」と笑い、奥さまは「今の方がよほど素敵~!♡」と周りを笑いの渦に巻き込んでいた。
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日を変えて、昨年手術した腎臓がんの定期CT検査などが済んだあと、どうしても行かなければと思っていた佐伯剛さんの写真展会場のある新宿へ行った。

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このカメラで全ての展示作品の「針穴写真」を撮影したと言う。

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作品集も自分で制作している。信じられない価格で仕上がっている。上は新刊の『日本の古層VOI.5/かんながらの道』。左は昨年刊行した『VOI.4 始原のコスモロジー』。定価は各2、000円

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50号を世に送り出して廃刊した幻の名雑誌「風の旅人」編集長だった佐伯さん。編集者だったが、いつの間にか写真家にも。僕も「風の旅人」前期の頃に、2度大きな特集を組んでもらった。一つはヒマラヤの写真群だった。20数頁だった。もう一回は東京を舞台にした「都会の安息」シリーズ。こちらはモノクロ10数頁だった気がする。写真家の水越武さんの紹介で、紀尾井町のホテルニューオオタニ下の清水谷公園前にあった事務所を何度か写真を抱えて訪ねたことを想い出す。当時は威厳を感じて、僕よりもはるかに年上だと思っていた・・・。 いまは爽やか笑顔を見せている。

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神仏へのみちを感じさせる独特な雰囲気を醸し出している会場には、ひっきりなしの入場者が訪れていた。 ところで佐伯さん、初個展おめでとうございます~!♡☆ 合掌

 

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第36回展の応募作品を呼びかけるポスター。福岡展が「未定」となっているが例年通り、開催の方向で進めているが会場、日時がまだ決まっていない。 ◆応募作品の呼びかけを友人、知人、写真仲間など多くのみなさんによろしくお願いします。

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応募作品を呼びかける第36回展のチラシ。(ポスター・チラシ デザイン:塩崎 亨)

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◆今年度審査員は、藤森邦晃(「フォトコン」編集長)、塩崎亨(写真家・東京写真学園講師)、小松健一(写真家・社団法人 日本写真家協会会員)が務める。 ◆横浜展、神戸展、博多展(未定)において恒例の作品解説「海の写真道場」を小松健一が今年も行います。

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2月7日、生前、親しくさせていただいた女性ジャナ―リストの先駆けだった吉田ルイ子さん。その追悼写真展があると知り、銀座へ出かけた。時空を超えるまっすぐな眼で捉えたフォトルポルタージュ。オリジナルプリントから制作したモノクロームプリントは美しかった。僕と自身を「W健一」とジョークを込めて呼ぶ、新藤健一さんと。

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左から新藤健一さん(ジャナ―リスト・元共同通信編集委員)、僕、そして城島徹さん(ジャナ―リスト・元毎日新聞編集委員)。新藤さんとはバッタリ会場で会った。彼とは40年間「反核・写真運動」をともにして来たいわば同志である。原爆投下80年となる今年、被団協のノーベル平和賞受賞とも会わせて、東京・沖縄などで「広島・長崎原爆写真展」を開催するので何かと互いに忙しい。城島さんは、吉田るり子追悼展の実行委員をしている。
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以前に写真雑誌「フォトコン」の企画で、僕の手相を見てもらったことがある。その時の手相師がこの写真展の作者の鈴木サトルさんだ。左端の島尻るいこさんはその時に助手をしていた。その二人が今や飛ぶ鳥を落とす勢いで日本の写真界を席巻している。鈴木さんは今回の個展をはじめ、写真集など3冊の著作を刊行している。島尻さんは2024年度の「フォトコン」(自由作品の部・上中級コース)の年度賞のグランプリに輝いていた。あ~たまげた!!。 僕がいる時に、公益社団法人日本写真家協会の熊切大輔会長(右端)が顔を出した。鈴木さんはJPSの会員ではないのに会長自ら会場に足を運ぶとは凄いこと。ちなみに会長は僕の写真展には来てくれたことは一度もないさ~。
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最寄り駅のいつもの居酒屋で、写真家の眞月美雨さんと夕飯を食べた。この店には今年になって初めての顔出しだった。彼女は仕事帰り、僕は久しぶりの銀座歩きで、お腹が空いていたので、2人ともしばらくは無言で食べまくった・・・
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今日の銀座写真展巡りは、珍しく足が軽かった。しかし、当初予定をしていた四谷ポートレートギャラリーの中村悟郎写真展「人間と枯葉剤」、新宿 OM SYSTEM PLAZAで開催している佐伯剛写真展「かんながらの道」を見るのは諦めた。2人とも古い知り合いなので会期中には何とか足を運びたいと思っている。この冬一番の寒波が来ている夜、軽く一杯やって家路についたのである・・・

 

 

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2月4日、朝霞市産業文化センターにおいて、写真研究塾「風」の2024年度最後の例会が開かれた。岡山・早島の高田同人、埼玉・毛呂山の中村同人、千葉・銚子の水谷会員は用事等で参加できなかった。しかし、沖縄在住の出口会員、長野・遠山郷の橋都同人をはじめ並木同人、眞月同人、そして久しぶりに塩崎事務局長も参加した。ゲストとして「写真集団・上福岡」の事務局長・一瀬邦子さんが作品を持って参加した。(並んでいるのは一瀬さんの作品。右端が一瀬さん)

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並木さんは、3月に地元青梅で作品展をするのでそのセレクトを。橋都さんは、信州・伊那地方に伝承する祭りを追いかけてきた写真を今後どう発展させるか。塩崎事務局長は、東京浅草を全く新しい感性と感覚でどう捉えていくのか、そしてどうまとめていくかを考察。眞月同人は前回持ってきた長年撮影を続けている「マスク・シリーズ」をさらに撮影し、まとめて発表するかを検討した。8月~9月に新宿・アイデムフォトギャラリーシリウスで個展が決まっている出口君は、さらに納得の行く作品に仕上げるために7月まで取材を続けると決意を固めている。

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僕も前回の「都会の安息ー1972~1980年代」300点に続き、1989年に取材した「遙かなるチリ」を300点余持っていって見てもらった。年内にまとめて刊行する予定だ。写真展も開催を計画している。作品はみなビンテージプリントだ。会終了後、いつもの居酒屋で懇親会。

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この店は朝霞台と北朝霞駅の前にある居酒屋だが、店主が沖縄の人、うちなんちゅである。泡盛の揃えも多いが、沖縄・琉球料理も多い。沖縄モズクのてんぷら。

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鶏一羽を半分にして丸焼きしたもの。これが旨い。キンキンに冷やしたオリオン生ビールに合う。

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刺し身は豊洲直送なので新鮮だ。青い鱗のようなものが付いているのは、毎日、那覇の真喜志公設市場から輸送されてくるエラブッチャー(ブダイの一種)。この魚はサンゴをかじっているのでシコシコと腰があって美味い。店主がいつも自慢している。右端は島らっきょの浅漬け。

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本格的な専門琉球料理店ではないこの店、やきとりからラーメン、握り寿司まである居酒屋だが、なぜか沖縄料理がメニューにずらりとあるからうれしい。泡盛の種類も豊富だ。僕らはボトルで宮古島の菊の露を呑んでいる。全員沖縄大好きなので、この店は盛り上がる。いつも3時間は語っている。

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牡蠣ネギ鍋と鳥レバのネギ合わせ。倅が広島・江田島の大きな牡蠣を送って来てくれた。

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牡蠣鍋は2日間食べて飽きたので、残りは牡蠣飯にした。ご飯は筍、人参、わかめを入れている。出汁は牡蠣汁を中心に鰹、昆布、飛魚(あご)出汁を使っている。

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牡蠣を食い尽くした翌日、今度は娘からタラバガニが。茹でカニとしゃぶしゃぶ風に鍋汁に付けて食べた。

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タラバカニの足。太くて食べ応えがある。 IMG_2582.jpg

北海道・別海町のイクラも娘から送って来た。考えてみれば娘とは十数年会っていない。その間に結婚をして、娘も生まれたというが、その夫にも娘にもまだ逢っていない。たまに電話やメールは来る。それで良いと思っている・・・。  合掌

 

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森田雅章さんと奥様。手前のカメラは撮影機材、自ら考案した特殊なレンズなど。このシリーズをすでに十数年続けている。現在、新聞連載や教室もしているという。名古屋在住の彼との付き合いも若き日からだから、もう40数年は経つだろうか・・・。

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僕が今から野町さんの写真展へ行くと言ったら森田夫妻も「僕らも行きます」と言うことになり、一緒に北青山の会場にやってきた。野町和嘉さんを囲んで記念写真。撮影は榎並悦子さん。

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最終日前とあって会場は混雑していた。野町・榎並さんご夫妻と一緒に撮るニコンイメージングジャパンの相川さんたち(右から2人目)。

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野町さんとはJPS以来40年になるお付き合い、ずい分と長い。お互いに歳も取った。野町さんは土佐生まれの土佐育ちの異骨相(イゴッソウ)だ。歳は先輩だが何故か会った時から気が合った。創作のテーマが近いことも親近感を覚えているのかもしれない。僕が肩を揉んだら照れくさがって笑った。写真の同志でもある奥様の榎並悦子さんと。(撮影:森田雅章さん)

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