写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

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22日の初日に続き、2日目の23日は、約250作品に絞られた作品を並べて審査。第2次審査を経て第3次審査で約120点にセレクトされ、入選作品が決定。昼食をはさんで、賞候補作品約30点が選ばれて賞の選考に入る。今回は審査員に藤森邦晃さん(「フォトコン」編集長)に急遽加わってもらった。僕の体調不良によるものだ。初日の第1次審査は塩崎、藤森の両審査員がおこなった。2日目の第2次審査からは、審査委員長である僕も加わり、3人とも全入賞作、入選作の選考はすべて同席した。35回のマリナーズ・アイ展の歴史上3人で審査をやるのは初めてであったこともあり、激しい議論も交わされたが、新鮮でもあった。右端から藤森審査員、小松(中央)、塩崎亨審査員(左端)と僕の後ろの一般財団法人全日本海員福祉センター・福井専務理事をはじめスタッフのみなさん。2日間お疲れさまでした。 ◆入賞・入選の発表は6月1日以降、HPで掲載します。

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審査会場の前にある鶏料理の店で昼食を取った。藤森審査員などが食べた名物の親子丼。

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僕は、鶏のお弁当。

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半月ぶり以上の都内への遠出だったので疲れ果てた。ようやく家に辿り着いたら目の前の畑に夕日が沈む光景が広がっていた・・・。

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入賞・入選作品全120点が一堂に展示される写真展は、◆7月2日~8日 横浜赤レンガ倉庫1号館 ◆8月7日~10日 神戸KITO ◆9月18日~22日 福岡NHKギャラリー(NHK福岡放送局内)が行われます。※3カ所とも僕の作品解説「海の写真道場」(無料・自由参加)が開催されます。ふるってご参加ください。皆さんと直接お会いできるの心待ちにしています。  合掌

ここに載せた写真は、いつ、誰と、どこで撮影したかなど子細には資料がないのでわかりません。事務所(自宅)でないためです。暇に任せてパソコンの未整理データをボ~と見ていて、これは記録として残しておこうと思ってアップしたものです。第1回目シリーズ(さらに続く)と合わせて詳しいデータは後日、記入しておきます。悪しからず・・・  合掌

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右から白川議員さん、熊切圭介さん、齋藤康一さん、木村惠一さん、そして僕。先輩たちとは一回り以上歳は異なるが、日本写真家協会が大変な時代に共に理事、監事として活動してきたいわば「同志」である。白川さんは几帳面な方で、自身のパーティの案内や賀状などは欠かさず送ってくれた。僕を除く全員が公益社団法人日本写真家協会の名誉会員である。

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101歳でお亡くなりになった写真家・芳賀日出夫さん。僕の個展や出版記念パーティなどには、必ず来てくれた。飯田市藤本四八写真文化賞の第1回受賞者が芳賀さん。第2回受賞者が僕であったこともあり、芳賀さんは会うたびに「小松君、この賞を立派なものに育てていこうな」と言っていた。酒豪なので酒の話もし、地方でばったり会った時などはよく呑んだ。付き添うのは長男で現在、公益社団法人日本写真家協会監事を務める芳賀日向さんご夫婦。

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写真家・田沼武能さんが著書に揮毫する(酒田市土門拳記念館で)。

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土門拳記念館名誉館長の土門真魚さん。酒田市の土門拳記念館で展示作品を丁寧に鑑賞する。

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上州の実家。母が手入れをしている庭先で。

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(株)勉誠出版社長だった岡田林太郎くん。勉誠社では、原爆投下70年に『決定版 広島原爆写真集』、『決定版 長崎原爆写真集』を共に刊行した。翌年、日本ジャナ―リスト会議JCJ賞を受賞、今年も重版となり発行部数は5万部を超えた。独立して(株)みずき書林を創立して第1版目の書籍が、僕の大写真集『民族曼陀羅 中國大陸』だった。享年43歳、僕の子どもたちよりも若かったが、心から通じ合える大切な友であり、信頼できる出版人であった。無念の極み・・・ 合掌

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左、書家で俳人、歌人でもある豊田瑞穂さん。岡井耀毅さんが代表を務めていた「一滴(しずく)」句会の創立時の中心メンバーだった。書家としても有名で、お弟子さんも多数いた。彼女と何度かコラボレーション企画・展示会をした。

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僕は土佐へ行くと毎晩入り浸って来た高知市内の割烹「常盤」の主人。控えめな人で、女将さんが前に出ていて、その微妙な関係が好きだった。最初に女将が亡くなり、その後、大将も無くなって店は閉まったと最近知った。土佐へ行く楽しみがひとつ消えた。寂しい限りである。

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写真界で初の文化勲章を受章した田沼武能さん。帝国ホテルで開かれた祝う会には多くの人たちが駆けつけた。僕の写真集『民族曼陀羅 中國大陸』に推薦文を寄せてくれたときには、文化功労者であった。心のこもった文章でうれしかった。いまでも大切にしている。

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左から写真家・大石芳野さん、熊切圭介さん、齋藤康一さん。大石さんは二人にとって日大芸術学部の後輩である。

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写真家・大山謙一郎さん。熊本出身だから酒は強い。それでもって土佐が好きで、「よさこい祭り」の撮影に通った。僕とも機会あるごとによく呑んだものだ。ある時に、彼の熊本の実家を訪ねたことがあった・・・。

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アメリカ・アリゾナ大学の教授たち代表団を「反核・写真運動」の代表委員として迎える江成常夫さん、熊切圭介さん。(東京・銀座で)

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珍しい顔ぶれ、硬派の写真家がそろった。右から熊切圭介さん、江成常夫さん、桑原史成さん。

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関西で活躍した藤本俊一さん(中央)。JPSの理事として、協同組合日本写真家ユニオンの設立発起人として共に働いた。左は公益社団法人日本写真家協会副会長だった山口勝廣さん。2人ともJPS名誉会員となった。

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僕のほとんどの写真集を制作・印刷してくれた(株)東京印書館のスタッフ。左端、僕の営業担当だった佐々木政美さん。二人三脚で10冊を超える本を世に送り出してきたが、3年前に忽然と消えてしまった。酒好きでよく仕事の後は二人で呑んだものである。

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奄美大島在住の写真家・久野末勝さん。この年、奄美を代表する音楽家だった奥様(写真)が病気で亡くなった。何度か家にも泊めてもらいお世話になった。彼は建築家でもあり、奄美の海を見下ろせる丘に建つ木で出来た家は終の住処だろう。

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日大芸術学部出身の大写真家のなかに、独り門外漢の僕が・・・。やはりちょつと変な感じ。

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暮れの恒例のJPSの会員相互祝賀会で。右から僕、鈴木一雄さん、田沼武能さん、芳賀日出夫さん、木村惠一さん、山岸伸さんらが見える。何だこれ~!?スマホでの自撮りだろうね。

 

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右から写真家の渡辺義雄さん、田村茂さん。当時、渡辺さんは日本写真家協会(JPS)会長、田村さんは日本リアリズム写真集団(JRP)理事長。2人は戦前からの無二の親友だった。事務所や暗室も共同だった。愉快なエピソードは沢山聞いている(1974年・東京新宿区で)。ちなみに田村さんは、僕が日本写真家協会に入会した時の推薦保証人である。もう一人は山口勝廣さん。

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左から写真家の土門拳さん、クリエーターの太田英之さん、渡辺義雄さん。太田さんは木村伊兵衛さんを資生堂の広告写真に抜擢して使うなど画期的な広告写真を切りひらいたことで知られている。晩年は長野で静かに暮らして、お亡くなりになった。奥様からご丁寧なお便りがあった。

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右から丹野章さん、渡辺義雄さん。この当時、二人は日本写真家協会を中心として写真著作権運動の旗手として大活躍をしていた。上の3枚の写真は、1974年、日本リアリズム写真集団の四谷新事務所オープンのレセプションパーティで。

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右、写真家の熊切圭介さん。当時は公益財団法人日本写真家協会会長だった。JPS三木淳会長、藤本四八会長時代に共に理事をした頼れる先輩だった。僕の著書『民族曼陀羅 中國大陸』の出版を祝う会。池袋の沖縄料理店「みやらび」に駆けつけてくれた。

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田沼武能さん、当時は公益社団法人日本写真家協会会長だった。田沼さんとのお付き合いも長く40数年になる。田沼さんの写真展会場(新宿)で。

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左から写真家の野町和嘉(前JPS会長)さん、田沼武能さんと僕。JPSの暮れに行う会員相互祝賀会で。何年だったかは調べればわかるが、今は出先で書いているので手元に資料がない。すみません、後で記入しておきます。野町さんとの付き合いも1980年代初めからだから40年以上経つのか。

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「K&K」コンビの木村恵一さんと相棒の熊切圭介さん。僕は親しみを込めて二人の前では「くまさん、へいさん」と呼ばせてもらっていた。木村さんはまだお元気だ。田沼武能さんの文化勲章受章を祝う会で(東京・帝国ホテル)。

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僕と弟の修二と・・・。平屋の小さな家だったが、貧しいながらもしあわせだった気がする。雨が降ると水浸しになった玄関前で。

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僕の上州の実家の縁側の前で。亡き父母と次男の修二と。彼も今年で68歳になる。父に叱られて夜家を出て、縁の下に潜って一夜を過ごしたこともあったなあ・・・。

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亡くなる前年の母、92歳(2019年)。いつも元気で僕よりも長生きするのではと思っていたが、新型コロナ化の中、突然に無くなってしまった・・・。無念の極みである。 合掌

 

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ゴールデンウィーク前半は雨交じりのぐずついた天気だったが、後半の5月3日からは見違えるような爽やかな五月晴れとなった。3日、連休に入る前にと思い郵便局や銀行などを廻った。ここ数年、家の周りの畑はどんどんと潰されて、新しい住宅が次々に建っている。全国的には、恐ろしいほどの人口減少が激化しているが、僕の住んでいる朝霞は、ここ毎年人口が増えている。それも若い層、子どもたちがである。小・中学校でも学年のクラスが10クラスになったと聞いた。そんな影響もあるのだろうか、武蔵野の面影が残る畑が消えていくのは寂しい限りである・・・ (家の近くの光景)

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5月4日、この6日で終わってしまう友達の山岸伸さんの写真展へ行った。7日からはしばらく都内には出れなくなくなるのでどうしてもと思ったのである。超多忙の本人とは会えず・・・。

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この日が5月~6月のうちでは、都内に出る最後の日だと思い山岸さんの後は、石川真生さんの土門拳賞受賞作品展、東京写真美術館で行われている「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」を見いくつもりで意を決してきた。しかし、山岸さんの写真展を見て、大きな靖國の境内を歩くうちに疲れ果ててしまった。意欲が失せてしまったのだ。途中、ベンチにしゃがみこんで何度か思案したが、やはり自らの身体をいたわり、いまは無理をしないことにした・・・。

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それで、これらの写真をトボトボと歩きながら撮った。僕なりの「靖國点描」である。

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大鳥居の門柱。

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境内に張り出されていた山岸伸写真展のポスター。

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写真展会場の入り口。遊就館の本館一階ギャラリー。少し奥まったところだが、外国の人もふくめて入場者は入っていた。山岸さんの人柄が出ている優しい作品だった。「日本人の心がやどる」と副題についていたが、僕には山岸伸のこころがやどっているように思えたのである・・・。

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この館の中は、戦時中の陸海空の軍事品が飾られていた。途中まで無敵と恐れられ活躍したゼロ式戦闘機の前に、軍服に似せた服を着ている人たちがいた。また境内には、グループで軍歌を謳い、敬礼などと繰り返し叫ぶものいた。A級戦犯はともかく、戦争で亡くなった人々を鎮魂する場にはふさわしくないと思った。世界から多種多様の人間がお参りに来ている場として違和感を感じたのである。僕の叔父さんも若い命を中国大陸に散らした一人であった・・・。

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黒人の参拝者。

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子どもも若い人も、参拝に入る時と終わって出る時に、きちんと深々と本殿に向かって礼をする光景に少し戸惑ったのである・・・  合掌

 

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「軍艦島」こと、長崎県端島が閉山になったのが1974年1月。その前年の秋にそのことを知った宅島さんは、当時東京写真専門学校2年、27歳だった。故郷長崎の炭鉱である「軍艦島」を卒業制作のテーマに据えるのには、何の躊躇もなかった。この島が無人島になる1カ月前から島に張り付いて撮影したドキュメンタリー。今回の展示は、学生当時自らが焼き付けたオリジナルビンテージプリントで構成している。同名の写真集も同時発売、好評だ。(中央が宅島さん)

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宅島さんとは2年ぶり。一昨年の銀座で開いた僕の個展「琉球 OKINAWA」に来てくれた以来。

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彼との付き合いは、1980年代半ばから。日本写真家協会の会員同士として彼は著作権委員会で活動していた、僕は広報委員会で任を果たしていた。その後は、経済産業省認可法人であり、文化庁承認著作権等管理事業団体である協同組合日本写真家ユニオンの結成のために共に働いた仲間だ。今年、結成20年になるが、創立当時から、宅島さんは理事、僕は専務理事としてがんばった同志である。

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東京写真専門学校時代の同級生が奥様と来てくれた。よく呑み、遊び、写真論議をした友だという。

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宅島さんは、酒が好きだ。僕が石神井公園に事務所があった頃は、住んでいる場所が近かったこともあって、よく呑み歩いた・・・。長崎県人らしく豪快な呑みぷりだった。

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26日、夏用の上下服を買いに池袋へ。その足でヘアカットをしに行った。カットをしてくれた眞月美雨さんへのお礼を兼ねて、久しぶりに池袋・みやらびへ行った。真後ろの写真は、琉球舞踊家・川田功子さんを僕が撮ったもの。それ以外はすべて石川文洋さんの作品だ。ちなみに功子さんは、ここ「みやらび」の3代目女将。文洋さんの亡くなった前妻は2代目である。本年で創業70周年になる老舗だ。

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写真家・眞月美雨さんも沖縄をテーマにして取材していることもあり、みやらびが好きで来ている。

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正面には、昭和を代表するの小説家、画家、俳優、詩人、政治家などそうそうたる面々のサインが飾られていて圧巻である。

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琉球舞踊家・崎山陽子さんと美雨さん。陽子ネェネェ~はみやらびで働いている。友人の画家・美崎太洋さんの奥さんでもある。

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功子女将の孫にあたる仲濱美海ちゃん(右)。4代目女将を目指し、現在修業中だ。三線や琉球民謡も上手い。3年前までは沖縄芸術大学で学んでいた。いまはしっかりとお店を切り盛りしているようだ・・・。

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沖縄出身の生粋のうちなんちゅ陽子ネェネェ~。もう20数年以上の付き合いだ。彼女の舞台も僕が撮影し、作品が店に展示してある。

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10年前、写真研究塾「風」作品展への出品のために上京してきた眞月美雨さんたちと、初めて行った池袋の居酒屋。懐かしく、久しぶりに行って見た・・・。

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この日は、みやらびで薄めの琉球泡盛と、この呑み屋では薩摩芋焼酎をちびりちびりとした・・・。以前ほどの大吞はもうとてもできない。

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翌、27日は軽く一人呑みをしょうかと思い、目黒で探し、池袋でと思ったが適当な店がなかったので地元へ帰ってきた。そうしたら駅前でバッタリと美雨さんに会う。昨日呑んだばかりだからと思ったが、一応声をかけたら付き合うという。それではと久しぶりに友人の韓国料理店へ行った。

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焼肉はあんまり食べないが、この日は食べた。ワタリガニのケジャン、レバ刺し、白菜キムチ、ナムルの盛り合わせなど肉の他に頼んだ。焼肉はタン塩、カルビに盛りだくさんのホルモンの盛り合わせなど。盛がとても多いので食べるのに相当苦労したが、何とか平らげることができた。
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もう、しばらくは焼肉はいい・・・。
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酒は、奄美・喜界島の黒糖酒をいつも飲んでいたが、最近は入荷していなく薩摩芋焼酎をじっくりと呑むことにした・・・。店主である李ルセ君の体調が余り良くないとのこと。まだ50歳そこそこと若いのに。店は今年に入り週3日休んでいる。あれほど好きだった酒も今は断っていると言う。少し、相談に乗ったが心配である。お互いの健康を祈って別れた・・・。

 

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4月23日、朝霞市産業文化センターにおいて、16年目となる「風」の例会が開かれた。この日、埼玉県内に住む2人(僕の両側の男女)と、都内の写真学校へ今年度から通い、将来は写真家を目指すという21歳の青年(右から4人目)が見学者として参加した。実はこの青年は、塩崎亨「風」事務局長の息子さんだ。

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「風」のメンバーは、左から出口君、水谷さん、3人おいて並木さん、塩崎事務局長、美雨さん。 この日、見学に来た3人の人たちはぜひ、これから創作に精進して欲しいと思います。がんばってくださいね~!!(並べてある写真は、約300点持ってきた中からセレクトされた出口君の50点余りの作品。来年、都内での個展をめざしている)
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初夏を迎える頃の武蔵野の夕暮れ。(2024年4月22日)
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4月21日夕方から、倅、淳平と打ち合わせをした。眞月美雨さんも同席。久しぶりの対面なので2時間半ばかりを3人で語り合った。
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倅は今年、47歳。こうして写真を親子で撮ったのは20数年ぶりのような気がする。 彼が中学生になったばかりの時に約3カ月をかけてヒマラヤへ行った。ろくな食べ物もなく、毎日3000m~4500mの高地を歩き続けたのだから自ずと体重は減った。僕は20数Kg、倅は10㎏ほど減った。帰国してから期待されていた陸上の中長距離が走れなくなった。病院の診断は栄養失調とされた。ヒマラヤでの生活が15歳の少年にはよほどハードだったのだろう。今では当時の面影は微塵もない。無論、僕もである・・・。

 

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4月18日、新宿区役所に用事があったので出かけた。終わったのが午後3時過ぎだったので銀座で行われている若山さんの写真展に足を延ばした。その前にソニーイメージングギャラリー銀座に顔を出してみたが、何んら書くこともないものだった。若山さんとは、かれこれ十数年の付き合いになる。彼女の出身地である中国・四川省へ共に取材したこともあるし、母校である四川大学で僕が講演をした時に、通訳を手伝ってもらったこともあった。若山さんが会長を務めていた日中写真交流協会の顧問にもなっている。若山さんの作品は、ここ近年のうちに急激にアップしていて目を見張る。彼女の持つ独特の感性と視点が生かされた作品となっている。

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写真家・高村啓子さんと。高村さんは、5月21日~6月2日まで目黒のJam Photo Galleryで写真展「波打つ光」を開催する。作品はすべてモノクロームフイルムで撮影し、自ら現像している。ゼラチンシルバープリントに自身が焼きつけたものだという。若山さんとは一緒に写真を学んでいる仲間だ。

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地下鉄の中の光景。今時の高校生たちは、いつでもどこでもスマホでのゲームに夢中だ。

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「こまつ平民食堂」の献立を紹介。毎日ほぼ食事は作っているが、最近はめったに撮影しない。気が向いた時にだけシャッターを切る。新じゃがが美味しかった・・・。

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時々、鮮度の良いマグロの中落があったとき作る「マグロのやまかけ」。擦った山芋汁の味付けで旨さが決まる。我が家では丼一杯がペロリと無くなる。よく売れる一品である・・・。

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ようやく鍋物の季節が終わる。この冬、100回くらい鍋料理を作っただろう。栄養があり、手間ががかからないうえ安価なので世話はないから毎晩のように作り、残れば翌日の味噌汁などにした。

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このナベは少し豪華だ。もらい物の車エビと鮭の切り身を入れている。これで師走の寒風が吹きすさぶ季節になるまで鍋料理は、おしまい・・・。

 

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4月4日、午前中からの病院の5つの検査が午後1時過ぎに終わったので、桑原史成さんの写真展に行くことにした。ベトナム戦争を取材した桑原さんの代表作が一堂に並ぶ丸の内フォトギャラリー。

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桑原さんのスクープ映像でもある南ベトナムのラムドン省で解放戦線の将校へのインタビューに成功した時の写真。当時はもし解放戦線側に接触したのが分かれば即、国外退去だったという。

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会場の風景

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ベトナム戦争には、韓国も参戦した。韓国軍を取材した作品のコーナー。

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朝日新聞の映像報道部記者の小林正明さんのインタビューに、ベトナム戦争当時のエピソードなど熱く語る桑原史成さん(右)。

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今年、88歳の米寿を迎える桑原さん。久しぶりに”史成節”聞いて元気が出た・・・。

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左から桑原さん、僕、(公社)日本写真家協会会員で、丸の内フォトギャラリー、アートスペース丸の内を管理している佐藤仁重さん、小林さんは公益社団法人日本写真家協会の会員でもある。

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1975年4月サイゴンを脱出する米兵たちの最後のベトナム戦争を取材した岡本俊郎さんの作品。見ごたえがあった。

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作品の一部を紹介する。アメリカ大使館から脱出する人々。

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ヘリコプターに乗り切れず空港に残された人々。

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南ベトナム・人民解放軍の女性兵士たち。

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帰ろうとしたらJPSの古い会員の石田研二さんにバッタリ会った。佐藤さんと一緒に快晴堂フォトサロンの前で記念写真。

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丸の内の新東京ビルから東京駅まで歩いて、東京ステーションギャラリーに来た。僕が写真家を志した頃から気になっていた写真作家・安井仲治の展覧会を見に来たのだ。

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懐かしい写真もあったが、僕にとっては初めてみる作品も多かった。上のポスター写真は「道化」。1940年頃、山根曲馬団を撮影したものだが、この道化役をしているのはサカースの団長だという。その後、下の写真「馬と少女」の右の女性と結婚した。

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そんな裏事情を色々と話して聞かせてくれたのが上の写真の常盤茂さん。トイレですれ違い、ポスターを見ていたら僕にたまたま話しかけて来たのだ。彼は若い頃の役者時代にこの山根馬曲団に一年近く修業に出されたのだという。そこでこの2人にも厳しく鍛えられたと笑っていた。芸術関係の出版社にも勤めていたらしく写真家の藤本四八、土門拳、田村茂さんらのことも良く知っていた。サカースを撮っていた丹野章さん、本橋成一さんのことなども。何か不思議な縁を感じたのである・・・

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3月29日、通院している呼吸器内科が終わってから、池袋の美容室へ初めてカットをしに出かけた。池袋駅東口から徒歩で5分足らずの静かな場所。ビルの1Fにあった。

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ヘア・メイクアップアーテストの眞月美雨さんにヘアモデルを頼まれたのである。

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まだ渋谷でカラー&カットしてから1カ月余りだったが、協力したのだ~。

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髪を洗って、カットして40分足らずで終了した。帰りに昔はよく通った焼き鳥屋を覗いたらまだ繁盛していたので寄った。カットのささやかなお礼も兼ねて乾杯をした・・・  合掌

 

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4月2日、恒例のアトリエぶどうぱん社主催の「櫻を愛でる会」が行われた。コロナ化のなか、3年は中止を余儀なくされたが昨年は小川町宿「鴻倫」において、僕の個展のオープニングと合わせて行った。今年はようやく本来の新河岸川の岸辺で4年ぶり22回目の開催となったのである。
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新河岸川の岸辺でやるときには、恒例で出す「土佐風カツオのたたき」。生きのいいカツオが入った時には「カツオの刺し身」をみなさんに振舞っていた。今年はそれが復活した。以前は蕎麦打ちの名人が打ったそばをその場でゆでて振舞ったこともあったがこれもコロナのおかげで残念ながら途絶えてしまった。

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益子焼の大皿に厚く切ったカツオをのせ、その上に青森産のニンニク、万能ネギ、大場をたっぷりとのせる。下に敷いた葉は近くの雑木林に朝行きちょうどよさそうなものを取って来た。その葉に大根の具(つま)を敷いた。

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紅梅と諸葛菜の花をのせて完成。 タレは別に調味料を合わせて作り、ペットボトルに入れて会場に持って行きカツオにかけたり、各自の取り皿にさし、好みに応じて付けて食べる。

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撮影は出口君。二次会からの参加者は3人、残念ながらこのカツオのたたきなどは食べられない。写真研究塾「風」と「写真集団・上福岡」のメンバーと翻訳家の遠藤さん(右から3人目)が参加した・・・。

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各自で持ち寄った酒やおつまみなど広げて乾杯~!!

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櫻はまだ少し咲き始めたばかり。

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直径50㎝ほどある益子焼の大皿は重い。年に1~2度しか使わないが、花見の時にはいつも会場の中心にデーンと座している。

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みなさん黙々と食べて飲んでいた。

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「写真集団・上福岡」のアイドル、昨年の秋に入会した後藤さん(左)と写真研究塾「風」同人の眞月美雨さん。

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僕と1年ぶりぐらいに再会した翻訳家の遠藤英湖さん。以前はジャーナリストをしていた時もあった。遠くからわざわざありがとうね~!♡☆

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午後4時過ぎから会場を移して、数年前にできた町中華の決定版みたいな店「満腹亭」で。黒竜江省から家族ぐるみでやって来た。安くてボリュウームがあるので最近若い人たちで人気だ。開店時から常連客だった僕からすれば少し淋しい。この後、元気のいい参加者5人が3次会へ。これまたよく行く焼き鳥をメインにした居酒屋へ。この日、午後2時から10時ぐらいまでの約8時間を呑み、食べ、語り尽くしたのだ~!! (写真には写ってはいないが、日程を間違えていたという塩崎くんが6時ぐらいに合流した)
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朝霞市を貫流する黒目川の桜堤。4月5日にいつも通っている歯科の前の光景。治療が終わった後に行って大阪名物・タコ焼きを屋台で買ってきた。
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黒目川の岸辺。桜はもう6割ほど咲いていた。(4月5日)
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4月7日、5日前に「櫻を愛でる会」を行った新河岸川の同じ櫻の樹。桜はもう満開に近いほど咲いていた。岸辺を少し散策してみた・・・。
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両岸とも桜は咲き誇っていた。
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西岸の崖の下に咲いていた・・・。
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堤防から川岸におりて・・・。
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ここから新河岸川の下流1Km辺りで、黒目川と合流する。
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下の写真は辺りは暮れなんできた頃、櫻には日が落ちたが遠くの空にはまだ残照が残っていた・・・・。 来年もまた「櫻を愛でる会」を開きたいと思う。あと何回出来るだろうか?いのちの続く限り、この岸辺に足を運べる限り続けて行こうと秘かに想っているのである・・・ 合掌
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倉敷川に架かる中橋よりの眺め。(3月28日、午前中)

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有隣会・山楽会館。

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古いたたずまいの倉敷公民館の内部。右は「風」同人の並木すみ江さん。

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倉敷考古館の壁。

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倉敷を代表する壁の前で新婚さんが記念写真を撮っていた。

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川船乗船所。1人500円とお手頃の値段のせいか、若者たちの行列が出来ていた。

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倉敷館や倉敷民芸館の対岸に船着き場はある。

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塩崎くんの長女・Nちゃん。彼女がまだお母さんのお腹のなかにいた頃から知っているので、もうずいぶんとたつ。昨年3月の小川町での僕の個展以来なので1年ぶりだ。会うたびに大人へと成長しているね・・・。

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塩崎くんの長男・Aくん。彼とは10年ぶり以上か。小学生の頃にによくお父さんと一緒に遊びに来ていた。いま、自分の将来について苦悩しているという。「焦らず、自分の思う通りにやればいいさ~」と握手をした・・・。それにしてもすっかり大人になったなあ~!♡☆

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塩崎亨ファミリーと共に。左端は奥さまんのTさん。遥か昔、僕の上州の実家へ一家で泊りに来た頃とちっとも変わらないなあ・・・。

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僕が塩崎くんちの家族写真を撮る~!♡☆

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ぶらぶらと歩いていて偶然に塩崎くんの家族と出逢った写真研究塾「風」のメンバー。初めて会う人もいてみな喜んでいた。

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相変わらずバシバシと撮りまくる橋都とみ子「風」同人。 右上にある火の見やぐらに、わかりし頃、酒の勢いに任せて登って撮影したことがある。ハシゴが垂直なので登るのは登れたが、いざ下りる段になって足が竦んで閉口した。僕の写真の師匠である田村茂先生の代表作のひとつ『日本の風土と文化』のなかの倉敷編で、この火の見やぐらからの倉敷の街を俯瞰した写真を見ていたので僕も撮りたいと無茶をしたのだ(田村先生は許可を取って登られたと思う)。当然、今も昔も火の見やぐらに登るのは禁止となっていたが、若気のいたりで馬鹿なことをしたと反省している。苦労した割には撮った写真は大したことは無かった・・・

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掘割を撮影しながら歩く、並木さんと鈴木渉さん。

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昼食を昨日、高田夫妻を囲んでの懇親会をしたお店の姉妹店の「倉敷冨来カレー」で食べた。美味かった。

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この後、高田さんの写真展会場の倉敷市立美術館まで歩いていき、もう一度作品を見てから帰京の途についた。2日間、お疲れさまでした・・・  合掌

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